私のおっぱい考

おととい、ママになったばかりの女性からお手紙がきた。直接お会いしたのは一度だけだが、才媛で酒豪、泣く子も黙るような仕事を一線でされていた女性だ。その彼女からの初めていただいた手紙だ。礼儀正しい文面だったが、とても疲れいるかんじがした。彼女の「母乳もうまくいかなくて」のあとに書いてあった顔文字に、私は胸がつかえた。そんなときにする話がひとつある。

それは、私が出産して入院中のこと。たしか明け方前の午前3時ごろだ。娘①の授乳とおしめ替えのため、私はもうろうとしながら授乳室にいた。ひとりだと思っていたら、もう一人若いママさんが授乳中だった。どうやら苦戦しているらしく、当直の助産師さんが助けていた。私も授乳しながら、ボーーーっと視線を向けた時だった。はらりとその方のおっぱいが一瞬見えたのだ。私はその光景に、いっきに目が覚めてしまった。

たとえるなら、1粒の巨峰、いやピオーネ。色も大きさも形もーー乳首が。

私は思わず自分のを見た。まともに見たことがある乳首の数は少ないが、かつて見たことがない、それは「ぶどう界の王様」のようだった。私より10歳は下であろう、若い女性だ。むむむ、個人差か。なにより、それは新生児の口に入るのか?と疑問がムクムクわいてきた。すると、彼女がもう一度、反対のおっぱいで挑戦すべく、赤ちゃんを抱き直したのだ。赤ちゃんのお顔が見えた。ちゃんと、お口が大きいのだ。娘①の倍はある。私は、心の底から納得した。そうだ、おっぱいは生まれたての赤ちゃんのご飯なんだ、と。おっぱいは自らの存続に関わることなのだ。母の乳首と子の口は、対のように、合わさるようにできているのだ。そのサイズは当然個人差があっても、うまくできてるのだ。そう、うまくできている。出産後の興奮で疲れを麻痺させているような時期、その出来事は可笑しくって、そして勇気がでた。私が、この子のママでいいんだ、と初めて思えた。じぶんのおっぱいと娘①の口のサイズは、親子の証だ。

だから、赤ちゃんとの世界に行き詰まったら、じぶんのおっぱいと赤ちゃんの口を見てみてほしい。きっと、なんだかほほえましくなる。おっぱいがダメでもサイズは・・・きっと、だ。

最後に。ってことは、逆も然りということだろうか。口の大小で、おっぱいが分かるのか。大きな唇に憧れていた私は、もしそれがそうならちょっと、といつも考えてしまう。

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もし、たいへんな育児中に気を悪くしたらごめんなさい。できれば笑い飛ばして忘れていただけると助かります^^;)