現在の、小2の夏休みの宿題事情。

夏休み、である。

小2の娘①と私が子どもの頃とは違う。まず宿題のひとつをとっても、「絵日記を1枚」って日記じゃないだろう、とか、当然ながら読書感想文は任意参加とか、ドリルなぞなくて算数プリントがたったの5枚で、各家庭で〇つけしてください、とか・・・微妙に「丸投げしてません?」と問いたくなる内容だ。

宿題は、ほぼ任意参加なのだ。自主性という名の丸投げだ。忙しいご家庭は「まいっか」で、ウヤムヤに終わってしまうだろう。

それも仕方のないことかもと思える。新学期過ぎたころ配布された、我が校(公立)の年間支出表をみて愕然とした。先生の給与、児童給食費、教材費(各家庭負担)、以外の運営費が2千万以下なのだ。びっくりした。600人以上の子どもを抱え、教職員も昼夜いて、土日以外年中無休・・・それで、この金額。驚きとしかいいようがない。いや~がんばってるんですね。って、がんばってるのは誰かな。

先生はやる気がないのではないだろう。だけど派閥で埋没していき、ハタからみても最初の情熱が1年もたたないうちにしぼんでいくのを見ることも多いと、父兄が言っていた。たしか、北欧の国では幼少時の教育が大切とされ、修士課程が必要なほど大変な仕事とみなされていたはずだ。修士をとれ、というのではない。ただ、先生がじぶんの仕事がどれだけ大切なものかを認識できるシステム、待遇なりを用意すべきだと思う。もちろん、教師当人にもその任を負ってもらう。

私の知る限り、単なる仕事と割り切って先生になった人はいない。教師浪人までしていた人もいた。自身が子どものころの大切な記憶とともに、先生になろうとした人ばかりだ。だからこそ、今どうしているのかな、と思う。

最後に。娘②が生後4か月から保育室のお世話になった。私立で、姉である娘①が通う幼稚園が経営する保育室だ。②は、開設された保育室の一期生で最年少だった。あるとき、保育室の先生と保護者の座談会があった。私は「保育の重要性、それに対してきちんとペイされることが大切だ」と言った。つまり、そのあたりがきちんとされてるかどうか、園側への質問だった。そのとき、ベテランの女性保育士がピクッと反応して仰った「私たちはお金だけでやっているわけではありませんから」と。私は「だからこそ、あなたのような先生にやめてほしくないのです。たくさんの子どもたちのためにも、長く、勤めていただきたい。そのためには、雇用の安定、十分な補償が必要だと思うのです」と。

たくさんの子どもたちを支える職業がある。その方々が、自身の満たされない部分を子どものエネルギー捕食することなく、教育に当たってほしい。

仕方のないこともあるけど、自身の都合で不利益を与えてはならないのは誰か、それを大人は忘れてはいけない。

今も忘れられない、子どものときの記憶が、私にはある。色もにおいもすべて、その時のまま、だ。それが警笛を鳴らし続ける。

 

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